随分のご無沙汰。玉川です。
GWも終わって、令和になって、もう5月も終わろうとしているのにね。
なんだか、エネルギーが充電できていない感じでGWに突入して、エネルギーが充電できたんだかできてないんだかの状態ですごしてました。
深呼吸できない感じ。日常生活はできているんだけど。
だけど、よーやく、100%元気になった感じなので、ブログ書こうかな!と思いました。
(サボってた。ということなんだな。でもそれもOKにしてる)
100%元気になってきて、ようやく精油達のエネルギーを受け取れるような気がしております。
精油は使っていたんだけど、正直、体に入っていない感じがあったので。
時間はかかったけれど、戻ってこれて良かったな。
先日、萩尾エリ子先生の講演会にも行けたのも良かった。
エリ子先生は、やっぱりロックだな。あの人に教われて幸せ。
さて。
先日、個人的なことなのですが、気が付いたことがあったのです。
私は「人を失うことにすごく恐怖を覚えている」ということに気が付いたんですね。
で、その恐怖はあまりにも大きいので、自覚しないように脳がしていて、意識上では、
「人はいつか別れるものだ」
「人に執着してはいけない」
「人に依存してはいけない」
「私は私」
「友達はいなくてもいい」
「人付きあいはほどほどに」
「家族でも一人一人は他人」
みたいな、ことに変換して、「一人になること」「一人であること」にフォーカスしてたの。
だけど、「人を失うことにすごく恐怖を覚えている」ことと、「人はいつか別れる」とか「人付き合いはほどほどに」みたいなことは別問題なんですよね。
人に執着はしないし、依存もしないし、家族でも他人の集まりでそれを尊重するけれども、
それとは別に、
「人を失うことが寂しくて」「だから、目の前の人が本当に愛おしい」
ということに気が付いたんです。
当たり前のことなのにね!バカみたい。
子供だって分かることを分かっていなかった。
子供がよく言ってくれる言葉に「ママ、だーい好き」「もうちょっと、一緒に居ようよ」(多分、もう、あと1年もすれば言わなくなる言葉ですが)があります。
そんな風に、「目の前の人が本当に愛おしい」ことを自覚することとか、直視することとか、愛おしさを伝えることを、私は拒絶していたんだな。
したとしても、正面から見ていなかったし、心から伝えていなかった。
だって、それを失うのが本当に怖かったから。
で、そうするとどうなるかと言うと、無意識の願いを自覚していないから、目の前にいる人との時間を大事にしなくなってしまう。
大事なものでない、と思うことで、いつか失う、と言う恐怖感を拭おうとしていたんだな。
人は人だし、いつかは別れるし、子供でも別人格の人だし、友達も波長が合わなければ別れることもあるんだけれども、それを受け入れた上で、「私は目の前の人が本当に愛おしいし、大切にしたい」「だから、この時間を瞬間を大切にしよう」
ということが、ようやく、ようやくですよ、腑に落ちたわけです。
ああ、人生って単純なんだか、難しいんだか。
大人になって、まだ、こんなことに気づけないなんてね。
子供の方が天才だ。
でも、こうやって、一つ一つが自分のこととして腑におちていくことが大切。
特に、考えることが苦手な私にとっては、こういう気づきがなかなかできない。
で、どうして、こんなことに気が付いたのかというと、
子供が寝静まってから、夫が帰るまでの時間、の私1人の時間。
本来は、リラックスできるひとときのはずなのに、いつもこの時間になると、異様な食欲が湧いてきて、
食べたくないものまで食べたりしていたんですね、恥ずかしいほど。
で、本来は、幸せなひとときのはずなのに、どうして私は食欲で何を満たそうとしているんだろうと、
ずっと、考えていたわけです。
でも、答えが見つからなかった。で、昨日、ふと、思った。「一人の時間が怖いのではないか」と。
そうしたら、スルスルと脳から考えや思いが出てきて、結論に結びついたわけです。
で、「今この瞬間が愛おしい」と思ったら、分かったら、なんだか全てが満たされた。
というわけで、私語りでした、失礼しました。
そういえば、この間、お客様に
昔書いてた妄想ブログよかったんだけど、もう書かないの?
って言われたので。
「僕たちは、一緒に寝ないのが不思議なくらい、相性がいいのにね」
ってうたた寝しているときに囁かれて、頭撫でられた、
という程で、
自分で頭撫でてみてください、
最高です。
というわけで。
ではー!!